2017年3月20日月曜日

戦国ixa(63鯖):レアリティ・極、宇都宮さんをゲット!


ixaコラム:経験0からのIXA!




関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/03/ixa_7.html



シーズン終了が意識され、活況を呈しているカード取引所。 そこでの取引は、63鯖が始まって以来の高値がつづいている状況です。 今回はこの話を・・・。







そんな高値が続いているカード取引所ですが、そうはいっても、特定のカードがある日に集中して出品されると、競合が分散されるためでしょうか? その時ばかりは通常よりも相場が安くなる傾向になります。




☝・・・先日(と、いってもけっこう前ですが^^;)、出品されていた宇都宮成綱さんもそんなケースでした。 15万銅銭での出品が2件、そして10銅銭の捨て値出品が1件、計3点の出品でした。


「おおよそ、これくらい」といった、適正価格のカードが2点出品されている状況に、そのうえ捨て値での出品があると、大方の人は捨て値の方へ向かってしまうのでしょうか? 日付変更前後の時間帯では、15万銅銭で出品されていた宇都宮さんに入札は入っていませんでした。 なので、わたしはそちらの方を入札!


したところ、









☝・・・無事に落札! (^ω^)









☝・・・極・宇都宮さんといえば、兵法成長が2.5pと軍師の適性があり、そして兵科適性がオールA、そのうえ固有スキル・『錯乱』が全攻スキルと、万能性のあるカードなので、ゆくゆくはわが軍にも欲しいとわたしは思っていました。 なので、今回落札できてよかったぁ。


落札に使った銅銭は16万3000銅銭と、「高過ぎず、かといって安過ぎず、ちょうどいい価格」と思えた取引でした。 「戦チケ」で排出されない攻撃カードって、そもそも出品が少ないですからね。 重宝重宝~。 (^ω^)


わが軍では宇都宮さんをどう運用しようかしら。 …当面は兵科を固定せずに、フリーの攻撃軍師としての役割を担ってもらうかな。







(^ω^)(^ω^)(^ω^)


ところで、みなさんは「宇都宮成綱(うつのみやしげつな)」さんのことを知っていますか? わたしは名前程度は知っていたものの、残念ながらこの人物の戦国エピソードといったものはまるで知りませんでした。


『ixa』よりもメジャーな『信長の野望』シリーズにしても、この人物が登場していることを見たことがないので、全国的な知名度はほとんどないと言っていい武将でしょう。 こんな武将が、なぜレアリティ・極に・・・?










☝・・・そんな疑問を抱きつつ、『ixa』の紹介文を見てみれば、なんか強そうなことが書かれてあります。 でも、戦国時代の宇都宮家ってそんなに強かったかしら? むしろ、弱小大名として有名なんじゃ・・・?


そう思って宇都宮成綱さんのことについて調べてみたら、確かに「宇都宮家中興の祖」と称えられるなど、なかなか有能な武将であったようだ。 なお、生没年は、1468~1516年であり、戦国時代の初期に活躍した武将だったのですね。 同じ時代を生きた有名な人物としては、東国では北条早雲、太田道灌さんといった人物が挙げられるかな。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・このたび、落札して初めてじっくりと見た、宇都宮成綱さんのキャラ絵。 若い少年の姿として描かれていますね~。 絵師はBISAIさんと、ixaでもかなりのカード絵を手掛けられている、おなじみの絵師さんなのです。









☝・・・そういえば、少年キャラといえば、宇都宮広綱さんも少年としてキャラ絵を描かれていましたよね。 (こちらの絵師は七緒来夏さん。) 広綱さんは、幼いころ下剋上によって宇都宮城を追われ、その後再起を誓い、本城を奪還するとゆうストーリーがあるので、少年として描かれることになんら問題はありません。


じゃあ、極の宇都宮さんはどうなの? と思ったところ、「父が早くに亡くなったため、10歳前後で家督を継いだ」 とあるので、そこからの少年キャラなのかもしれない。







左:広綱さん 右:成綱さん


☝・・・それにしても、これらのキャラ絵は似ていますね。 絵師のBISAIさんは新しく極の宇都宮さんの絵を描くにあたって、既出である広綱さんのイメージをかぶせてきたのかな。


とはいえ、同じ苗字に似たキャラ絵であっても、広綱さんは成綱さんの血を引いている訳ではなかったみたいだ。 それこそが、スキル・『錯乱』のいわれにも関連する事件なのですが・・・。







(参考)


☝・・・サイト『ウィキペディア』より。


このように、宇都宮の嫡流は成綱の子、18代・忠綱のときに一度途絶え、成綱の弟の興綱が家督を継ぐ恰好となって系譜は続いていく。 







さて、スキル・『錯乱』の元ネタとなる事件を語る前に、宇都宮成綱さんの事績をいくつか語らないといけない。


成綱は10歳のときに家督を継いだと先ほど触れましたが、もちろん10歳とゆう若年で立派な政治が行えるはずもなく、実際の政務は家中の筆頭重臣である芳賀氏が補佐とゆう名目で担当していたようだ。


一度出来上がってしまった体制は、なかなか覆すことは難しい。 成綱が元服してからも、領内の政治は芳賀氏が引き続き大きな権力を握っていたという。 このように、成綱ははじめ傀儡といっていいような立場から出発したのであったのだが、徐々にそういったものからの脱却を果たしていく。


成綱が傀儡から脱却して「中興の祖」に至るまでの事績はいろいろとあるが、それらはあまりにもローカルな話になるのでここでは省略しましょう。 ざっくりといえば、近隣の領主との攻防で勝利し、さらには領内で宇都宮家(宗家)が絶対的であるように体制を整えるなど、武略・政略ともに優れていたとゆうことだ。 ・・・『ixa』で成綱さんがレアリティ・極としてリリースされたのはこういったところが理由なのかもしれない。


そんな成綱の集大成ともいうべき事績が以下である。




・ 


室町時代、関東には足利将軍家の分家が高貴な武家として、地方政府を組織して君臨していた。 それが「関東公方家(その他、本拠地によって呼び方が変わる)」である。


当時の公方家は古河を本拠地として館を構え、「古河公方」と呼ばれ関東を二分する権勢を誇っていた。 ちなみに、関東におけるもう一方の権勢の頂点は「関東管領家」の上杉氏である。


さて、当時の古河公方家はどういった訳か、当主の足利政氏とその子・高基が争いだし、お家騒動となって揉めていた。 高基は現在からみればれっきとした嫡男ではあるが、当時は跡継ぎ候補の一人であり、情勢は不安定だった。


そんな立場が不安定な高基を宇都宮成綱は領内の宇都宮に迎え入れ、娘と結婚させてその後ろ盾となり、高基が家督を継承できるよう、政治的・軍事的運動を始めたのだ。









☝・・・レアリティ・上の足利晴氏さん。 この人は実は、宇都宮成綱さんの孫(外孫)にあたる。


古河公方・足利家といえば、信長が登場する頃にはすでに衰退していて、晴氏さんのキャラ絵のごとく、うらぶれたイメージのとおりである。 『信長の野望』シリーズから戦国時代を知るようになった自分のイメージもまさしくそのとおりだった。 しかし、成綱さんの生きた時代においては、「関東武士の主は、将軍家の分家である関東公方家」とゆう認識が健在であり、まだまだ権威はあったのだ。







話を戻しますね。 公方家嫡男の足利高基が、なぜ本家を出て宇都宮を頼ったのか、そのことについてはっきりとした記録は無く、様々な説があるが、この事件によって関東の秩序は大きく乱れた。 関東の主たる家が分裂してしまったからだ。




☝・・・公方足利家の家系図。 公方足利家は「政氏」と「高基」の父子の対立に加え、さらには弟の「義明」も家督継承候補として準備を始めるなど、古河公方家の継承問題について3派が出現、互いに合い食むといった事態に陥る。


また、ここの系図では省かれてしまっていますが、当主・政氏には弟がおり、その弟が関東管領・山内上杉家の養子となって「顕実」と名乗り、その名跡の継承を主張するなど、そういったあたりにも政略上の遠謀がいくつも絡み合っている。


と、まあ、要するに、関東は「主人格の家がそれぞれ乱れて収拾がつかなくなってしまった」状態にあり、そのなかで活躍したのが北条早雲、太田道灌、そして宇都宮成綱といった武将たちだったのだ。









☝・・・脱線ですが、先ほど名前の挙がった小弓公方の足利義明といえば、「国府台合戦」に登場する大将として有名なので、知っている方も多いかもしれない。 気宇壮大、武勇抜群の勇将であったらしいね。 義明はそんな武人としての器量を見込まれて台頭したのでしょう。


足利義明は『戦国ixa』には登場しませんが、天・里見さんが担いだのもこの人で、この画像での「関東一副将軍」のセリフは、そういった背景を指している。 北条VS里見の戦いとは、古河公方家VS小弓公方家といった、足利公方家の内紛でもあったのだ。







脱線してしまいましたが、話題を戻しますね。


古河公方家の分裂にともなって、東国の各武家もまた分裂をした。 それぞれの陣営からの誘い・・・それも、硬軟織り交ぜた誘いが書状となって頻繁に舞い込んでいたのである。


宇都宮家中もその例外ではなかった。 当主の成綱が高基推しの筆頭であったのにもかかわらず、重臣の芳賀氏が当主に背いて足利政氏を支持したため、家中が事実上分裂した状態に陥ってしまったのだ。


なお、なぜ芳賀氏が主君に背いたかについての理由はいくつか説が挙げられているが、「政氏の最大の支援者であった小山氏と芳賀氏は領地を接していたため、その影響を受けた」とゆう説が有力視されているものの、直接的なその資料はないとされる。


個人的には、小山氏の影響を受けたとゆうよりは、芳賀氏が「自主独立」・・・あるいは「離反」といった意思を持って主家の方針に従わなかったのではないのか、と思ってしまします。 今となっては分からない複雑な事情があったのかもしれませんが、反抗心といったものが無ければ、穏便に当主に従っていたことでしょう。




☝・・・ざっくりとした、宇都宮、芳賀、小山、古河公方家の配置図。


宇都宮成綱の視点からものを見れば、主家(公方家)の分裂を治めるためにアクティブになっていたところ、あら不思議、自分の家中が分裂してしまったなり!・・・とは、いかにも笑えない、悪い冗談のような話ではあるが、これも歴史の教えてくれる皮肉である。


この家中の分裂を目の当たりにした成綱は、非情な手段を用いてしまう。 それが、芳賀家の当主・高勝の殺害である。 これにより、芳賀氏とその武士団が一斉に蜂起、大規模な内紛が勃発した。 その内紛はのちに「宇都宮錯乱」と呼ばれるようになる。







と、このように、『ixa』の宇都宮成綱さんのスキル・「錯乱」とは、足利公方家の家督相続問題を端緒とした、宇都宮家の内紛にちなんだスキル名だったのです。


(と、とてつもなく長い説明となってしまったぁ・・・@@;)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ちょっぴり「宇都宮錯乱」の経過と、その後日談を!









「宇都宮錯乱」では、蜂起した芳賀氏には公方政氏の支援者が、それに対して宇都宮には家督継承候補の高基の支援者の兵がそれぞれ関東・南奥の諸地域から加勢が入り、激しく戦った。 その時の戦いで宇都宮成綱は大いに活躍し、勝利に貢献したという。 『ixa』の紹介文にある、「北関東の覇権を賭けた戦い」とは、この一連の戦いのことを指していたのですね。


さて、「宇都宮錯乱」で鎮圧された芳賀氏とその武士団であるが、恨みも相当積もっていたためか、かの一族の血を引く者に家督を継がせることはあまりにも危険だと判断されて、芳賀氏の家督は成綱の弟・興綱が継ぐこととなった。 現代でいえば、親会社による、子会社の事実上の乗っ取りである。 そして成綱は内紛の落ち着いた頃、46歳で息を引き取った。







内紛を鎮め、古河公方家に影響力も発揮できて、これにて宇都宮家は大安泰、めでたしめでたし! ・・・と、そうは問屋が卸さず、ここからが第2ラウンド、新たな逆襲劇が始まるのですが・・・これはまた別の、長いお話。。。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)





と! ゆうことで、今回はこのあたりでお開き。 わが軍に加入してくれた極・宇都宮さんですが、敵をどんどん錯乱させてほしいものですね。 願わくば、「宇都宮錯乱」のように、自分たちが錯乱することが無いように!


(つづく)


※この文章はブログ主個人の見解です。






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