2017年12月13日水曜日

戦国ixa(63+64鯖):キャラ絵小話! 小田氏治さん編(9)

ixaコラム:経験0からのIXA!










関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2017/12/ixa6364_4.html
キャラ絵小話! 小田氏治さん編(8)


(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した上杉謙信


☝・・・永禄4年(1561年)3月上旬のこと。 長尾景虎率いる軍勢は北条氏康が籠る小田原城に殺到、やや遠巻きに同城の包囲を開始した。


この時点で景虎が率いていたのは越後兵8000を中核とした連合軍で、主に北関東の反北条の大名たちが集まって成立していた。 彼らは通説によれば総勢7~11万という大人数へと膨れ上がり、各地から北条氏の領地へと攻めかかっていたのだった。







☆『戦魂~SENTAMA~』より、小田氏治

「打倒・北条一強!!」


☝・・・そんななか、このコラムの主人公であり、「小田三千騎」と言われた常陸の国・小田家当主の氏治も、この戦役に数千の兵を率いて参加していたのだった。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さて、このシリーズ・「長尾景虎の小田原戦役」の書き直しをしていることは以前にお断りを入れた通りなのですが、その最大の理由であり原因が以下となります。


それは、「景虎が攻めた小田原城は、総構えの城ではなかった」ということだ。








「な・なんだってー! Σ@@」


☝・・・小田原城はゲームなど歴史系エンタメで「総構えの城」として扱われてあまりにも有名ですが、景虎が攻め込んだ永禄年間においては、町一つを囲んでいたという総構え/総曲輪の大外郭はまだ未建設であり、「堅城であるものの、飛びぬけた特徴のない普通の城」だったようだ。


わたしは書籍の資料を読むことでこのことを正確に知り、目から鱗の思いをしましたが、よくよく思い出してみれば、コーエー社のゲーム『信長の野望』などにおいて、ゲーム中に堅城として登場する小田原城が本来の姿とは異なっている、うんぬん、といった雑談をどこかで聞いたことがありましたが、このことを言っていたんですね。 @@;







☆『グーグルマップ』より、今日の小田原城付近


☝・・・それでは現在の小田原城の姿をもとに、永禄年間の小田原城をイメージしてみよう。 資料によれば、当時の小田原城は「現在残っている近世城郭」とは異なり、「八幡山古郭を中心とした〝本丸”」と「現在の本丸周辺を敷地とした〝二の丸”」を主要な防御施設として成り立った、連郭式の平山城であったらしい。


そんな小田原城のメインゲートは「蓮池門」と呼ばれていたらしく、そこは蓮池の名が示すように、周囲は池といった水に囲まれて守られていたようだ。 今回の景虎の小田原攻めでは、ここ蓮池門周辺が最大の激戦区域となっていく・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国やらいでか』より、姫化した上杉謙信


「・・・まずは堅固な本陣を築くぞ! 邪魔な城下町から材を取れ!」


☝・・・景虎は周辺の地形を確認すると、すかさず陣取りの場所について下知を飛ばす。 想定する戦場との距離や敵との力量差を考慮しつつ、さらには地形のメリット・デメリットなども踏まえながら本陣の場所は決められるのである。 もっと言えば、合理的な判断のほかにも、「易:方位占い」の結果によっても陣の場所は左右されていたことが知られている。




☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治


「小田原の民家、ぶっ壊死!」


☝・・・景虎の命を受けた氏治ら諸将は配下を引き連れ、小田原城下町の建物を打ち壊していく。 小田原城の総構えはこの時点ではまだ建設されておらず、城下町は無防備な状態となっていた。




☝・・・彼ら長尾ー上杉軍の兵士はてきぱきと梁や柱、戸板などといった建築材をはぎ取っていったのだが、それもそのはず、当時の一般庶民の家屋は背の低い簡素な平屋で、屋根は板葺きが主流だった。


こうして解体された民家は築陣用の材や、野営の際の暖を取る燃料として使用されたのである。 その後、取るものを取った建物の残骸には火がつけられ、小田原城下は焼け野が原となったのだった。


景虎 「うむ。 これで見通しが良くなったな!」


・・・現在の価値観からすれば、武家同士の争いにおいて一般民衆の家屋を焼くことは非道な行いだと言えるが、殺すか殺されるかといった戦国の世においては、こういった行為は「ごく普通の行い」だと言えた。




(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さて、


☆『グーグルマップ』より


☝・・・さて一方で、景虎が小田原城の包囲を始めたころ、反北条の東部戦線では里見・正木・佐竹氏らが共同して北条の属城である葛西城を攻め落とすなど、快進撃が続いていた。 彼らは景虎の指揮に入らない別動隊であり、房総半島と常陸の国の反北条勢力の経路を結ぶために戦っていたのである。


景虎は馬周り衆を通じて里見たち別動隊と連絡を取り、彼らに小田原への後詰を要請する。 こうすることによって、小田原城攻めの態勢はあらかた整ったように思えた。







☆『戦国サーガ』より、長尾景虎

「懸り乱れ龍の旗、立てい! 攻撃態勢に移れ!」


☝・・・懸り乱れ龍の旗が高々とはためき、出撃のほら貝が鳴り響くと、戦士たちは武者震いをしながら攻撃目標へ続々と向かっていく。 こうして、景虎の小田原城攻めが開始されたのである。 







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さて、


☆『千万の覇者』より、長尾景虎

「よっこいしょういち!(死語)」


☝・・・さて、長尾景虎はこの小田原城攻めで特異なエピソードを残している(細かなことについては諸説あり)。 それは、敵の鉄砲玉が届く最前線へおもむろに出向き、そこで床几(携帯用の折り畳み椅子)にどっかと座り足を組んで、具足を外しつつ食事をしたり、お茶を飲み始めた、というものだ。


小田原の城兵からすれば、なにやら変な奴が前線に出てきて座りだし、のんきに茶などを飲みだしている。 なので、 「しゃらくせえ! 撃て撃て!」 と銃撃を次々と浴びせかけた。 しかし、その弾は不思議とその人物には当たらないのだった。


やがて景虎の挙動に気づき、肝を冷やした長尾の将兵らが「キケンです! お下がりください! Σ( ゚Д゚) 」と、わらわら群がってくる。


「!?」 その様子の異様さに、小田原の鉄砲侍たちも座っている人物がただ者ではないことに薄々気づく。 どよめく城兵たち。 やがて景虎の姿を見知った者たちが、「景虎だー! 敵の総大将だ!!」 と声を上げる。


小田原の鉄砲侍たちの目の色は変わった。 そりゃあもう、大将首が射程圏にのこのこと入って来ているのだから。 討ち取れば大金星、間違いなし!である。


再び銃口が景虎に向けられ、弾雨となって激しく襲いかかる。 しかし、ここでも景虎は悠然と座り、茶を飲みながら休憩を続けていたのだった。 小田原の鉄砲侍のなかには、ここぞという時のための、ゲン担ぎの用の「特別製・金の玉(銃弾)」で狙撃に臨んだ者もいたが、それも空しく的を外したのだった。


「長尾景虎は軍神の加護を受けている、という噂はまことだったのか!?」Σ@@


長尾景虎が軍神の化身である、という噂はかねてより関東兵の間で流布され、それは北条の兵士たちも十分聞かされている。 そして今回まさに、これほどの銃撃をしても景虎に全くかすりもしないことに小田原の城兵たちは戦慄した。


戦国時代の当時は、戦で死んだり生き延びたりなど、戦場だけでなくおおよそ人生で起こりうるすべての幸運・不運は、すべて神仏の加護や、天の計らいであると解釈する一種の信仰があった。


景虎のこの大胆な行動のおかげで、長尾ー上杉軍の士気は大いに上がり、敵対する小田原の城兵たちの士気は下がった。 軍神が味方についていることは何よりも心強いことであるし、敵対する側の兵士にとっては、生身の人間が軍神と戦って、勝てる道理があろうか?と忌避する気持ちが沸いたのだった。






☆『戦国やらいでか』より、姫化した上杉謙信

「軍神の加護があれば、鉄砲玉に当たることなどありえない! ・・・むしろ、玉が勝手に避けてくれるわー!」


☝・・・それにしても、長尾景虎があえて敵の銃撃の射程圏内に入り、危険極まりない冒険をしたのはいったい何のためだったのだろうか?


もちろん味方の士気を上げるためにあえて危険に身を晒したのだ、と解釈することは至極まっとうな意見だ。 しかし、もし銃撃をまともに当たりでもしたら、総大将の負傷ということで合戦の形勢は傾いてしまうだろうし、何よりも作り上げてきた軍神の神話が一気に崩壊してしまう。 士気を上げるというリターンに対し、あまりにもリスクが大きすぎるのだ。


当たらなかったから良かったものの、この危険な行為を豪胆・大胆不敵と解釈するのか、それとも自らを軍神と錯覚した誇大妄想的な行為だと解釈するのかは、意見が分かれるところだろう。 あるいはこの二通りの解釈は不可分なものであり、勇気と豪胆さ、そして毘沙門天などといった神仏への過度の信仰が混じり合って、彼独自の行動をとらせていたのかもしれない。 長尾景虎という人物の興味は尽きないね。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


ところで、先ほどに関連した脱線ですが、長尾景虎の宗教観だとか信仰心といったものを考察するうえで、注目される人物がいます。 それが、細川政元という武将である・・・!


☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した細川政元


☝・・・なんとまぁ、この人物までもが姫化/キャラ化していたのかー! @@; とわたしは笑いながら半ば呆れてしまいましたが、この人物の残したエピソードは第一級の、かなり濃ゆい武将です。


「だれ? この武将・・・」と思う人もいるかもしれませんが、細川政元は、長尾景虎よりもおよそ70年ほど前に生まれた人物で、「応仁の乱」のメインキャストである細川勝元の嫡男で管領職を継ぎ、「半将軍」の通り名を持ったほどの人物だった。 そしてこの人物の最大の事績は、


①信長に先駆けて、比叡山を焼き討ちしたこと

②現役の将軍を襲撃して幽閉、強制的に退位させて傀儡を擁立したこと


・・・この二つの事績がよく知られている。







☆『戦国ixa』より、「流れ公方」の足利義稙(よしたね)


☝・・・「ixa民」の人に分かりやすく紹介するならば、将軍・足利義稙の敵となって、「流れ公方」となる原因を作った人物が細川政元ということになる。







それで、細川政元という武将と長尾景虎/上杉謙信がどう関連して注目されるのかというと、「宗教に傾倒して、独自の生活スタイルを行っていたこと」が共通しているからだ。 その生活スタイルをあけすけにいうと、「女性と一切交際しない」という一言に尽きる。


☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した細川政元


☝・・・この人物は、曲がりなりにも当時、近畿地方の現職で最高実力者であったにもかかわらず、「愛宕(あたご)・飯綱(いづな)の法(修験道の一種で、法術/魔術のようです)」に傾倒し、姿形も山伏風となって「修行」と称して突然の出奔をしたり、さらには女性を近づけず、武家の不文律の義務である「ふつうに結婚して子孫を残すこと」を行わなかった奇行の人物として知られている。


当時の武家の結婚はすべて政略結婚で、念入りかつ用意周到に進められるものであり、男女ともに第二次性徴が終わって元服/髪結いしたら即結婚、という流れが当たり前の時代だといえた。 そんな時代に逆らって、脳みそまっさらな若き政元が結婚を拒否、政務もそこそこ、法術の体得に熱を上げていたというのだから、政元本人の責任というよりは周囲の監督不行き届きのように感じてしまいます・・・。


とにかく、政元の信仰した「飯綱の法」の飯綱の神とは「飛行天=烏天狗」のことであり、一心に信仰して修行を積めば空を飛ぶことができる、と信じられていたようだ。 そして、その法力を得るためには「女性と付き合うことは厳禁」なのだという。 これが飯綱信仰の最大の特徴で、当時その他の日本仏教であるならば、僧侶/信徒が妻帯しても全く問題は無かった。







☆『戦国サーガ』より、上杉謙信


☝・・・そんな怪しい術に傾倒した細川政元と同じように、長尾景虎も生涯女性を近づけず、また信仰した神仏のなかに飯綱の神も入っていた。


上のキャラ絵の、謙信の兜の前立てをご覧になってほしい。









☝・・・こちらは景虎の兜として有名な中の一つの写真ですが、この兜に付いている金色の像が飯綱の神のシンボルと言われている。 景虎に限らず、武将の兜の前立てというものは、ただ何となく好みのデザイン/シンボルが飾られているというよりは、自らが深く信仰する神を表明してその加護を期待する、といったゲン担ぎや呪術的な意味合いが込められた、とにかくメッセージ性が強いものだった。


兜に飾られたこの神・飯綱権現については、残念なことに表面的なこと以外の詳しいことはあまりよく分かっていない。 その法術の奥義は、師から弟子に口伝という方法で伝えられていたらしいが、どこかの時点で廃れて跡形も無く消え去ってしまった。 もしかしたら今日の修験道のどこかで飯綱の法について伝承している所があるかもしれないが、それはロマンの領域と言えるだろう。







☆『関ケ原演義』より、姫化した上杉謙信

「・・・女性はお断りだ! (`・ω・´) キリッ! 」


☝・・・このように、細川政元と長尾景虎は宗教に傾倒して女性を近づけなかったという生き方が共通しているので、両者の共通点となる「飯綱信仰」が注目されている、という訳なのだ。


景虎が飛行術を体得するために修行を行っていたという記録・伝承は見当たらないが、景虎が戦場において大胆不敵な用兵を行ったり、あえて危険に身を晒す行為をしばしば行ったのは、そういった行動を通して、毘沙門天や飯縄権現と言った神仏からある種の神託を伺うといった意味が込められていたのかもしれない。


やはり、景虎という武将の行動理念は、「理知的・合理的」というよりは、「直感的・神がかり的」だと言えるだろう。







☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した小田氏治

「うーん! 景虎様って、謎が多くてホント不思議なお方だ・・・」


☝・・・独特すぎる景虎の用兵や行動に、ちょっと・・・いや、かなり疲れを感じる氏治なのであった。w


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。





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