2018年4月21日土曜日

戦国ixa(57-64鯖):キャラ絵小話! 有馬晴信さん編(3)

ixaコラム:経験0からのIXA!










関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2018/04/ixa57-64.html
キャラ絵小話! 有馬晴信さん編(2)


(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『信長の野望』シリーズより、本多正純

「これはあくまで有馬殿による敵討ち。 くれぐれも、お忘れなきよう・・・」


☝・・・ときに、慶長13年(1609)6月。 有馬晴信はポルトガルへの報復措置について、本多正純からおおよその筋書きを知らされた。 そして、その筋書きに従って行動を取るようしてはどうだろうか?と言われたのである。


・・・このことは、教唆といった形をとった事実上の上意下達であった。







☆『戦国ixa』より、有馬晴信


☝・・・それから急いで国元に向かった有馬晴信だったが、この件の連絡役として、本多正純の家臣・岡本大八なる人物が晴信に付けられてこれより同行した。


(連絡役とは名目の、監視役か・・・。) 岡本大八は晴信からすれば若造と言っていい年齢である。 そんな若造に監視されることも含めて晴信は岡本を疎ましく思ったが、その岡本は本多氏の家臣、ひいては大御所の陪臣ということで、権力の上下関係に敏感な晴信は岡本を追い払うことはできなかった。







駿府から有馬晴信の国元・島原半島まで帰るには、大坂までを陸路で行き、それからは船を使った。 当時の大坂ー長崎の旅程は、天候が順調であれば20日ほどかかったそうだ。 その際、船上で岡本大八が晴信に話しかける。


岡本が言うには、自分は監視役などでは全くない。 監視役は「長崎奉行」の長谷川氏がその任務に当たってるのだという。 そして自分はあくまでも本多正純、ひいては大御所の意向を直に伝え、サポートする役割を担っているのだ、と。 このように岡本はぜひ自分を信頼してほしい、と晴信に訴えた。


その言葉の証として、彼は懐中から袱紗のような包みを取り出し、晴信の前で開いて見せる。 ・・・そこから出てきたのは、数珠・・・。 と、思いきや、数珠の先には銀のロザリオが付けられており、鈍い光を放ってきらめいていた。 「コンタツ」と呼ばれるキリスト教の数珠で、キリシタンの証とも言える品であった。







☆『戦国ixa』より


☝・・・同じ宗門の者同士というのは不思議なもので、それまで警戒すべき他人であってもイッキに打ち解ける、そんな共振・共鳴といった共感の念を引き起こす。 ・・・語弊を恐れずに言えば、この時代のキリシタンとは、迫害されることでかえって信仰心の炎をあかあかと燃やす種類の人たちである。


そう、キリスト教の迫害はすでに秀吉の時代から始まっており、キリシタン同士の共鳴する心は強くなる一方だった。 大御所政治時代のこの頃も、いく分かは緩んできていたものの、キリスト教は依然としてご法度であった。 特に、大名や武士といった社会をリードする層には禁教が敷かれていたのである。


有馬晴信はキリスト教を秀吉政権時代に棄教していたものの、それは表向きであって、実態としてはキリシタンであることをやめていなかった。 むしろ、コエリョ、オルガンティーノ、ヴァリニャーニなどといったイエズス会歴々の宣教師たちを師として仰ぎ、彼らとの繋がりを保ち続けるなど、あいかわらず信者であり続けていたのだった。









☝・・・この時代、キリシタンは概して西日本に多く、東日本には少なかったようだ。 そういった先入観もあって有馬晴信は、「まさか大御所様のご家中にキリシタンがいたとは!」と、サプライズ的な感動が大きかった。


このように、晴信は岡本がキリシタンであると解ると、今まであった心の垣根が取り払われて彼と打ち解けていく。 岡本が言うには、自分は身分の低い郷士の家柄の出で、ひょんなことからキリシタンの教えを知り、信徒になるに至った。 彼はスペイン系キリスト教会の信徒で、晴信が所属するイエズス会とは別の会派であるという。 また、尊師の名前は迷惑が掛かっては悪いと、言葉を濁してその名は明かさなかった。







「話は戻りますが」 と、岡本は重ねて晴信に言う。 ポルトガルへの報復の件について、特に、長崎奉行の長谷川氏は何かと干渉してくるかもしれない。 そのことについて、わたしの主である本多正純も心配をしている。 ですが、わたしを上手く使えば、彼の干渉を抑えることができるはずだ・・・と。


晴信「・・・。」


晴信は岡本の話す言葉のすべてを信用したわけではなかったが、長崎奉行の長谷川氏の干渉については、「さもありなん」 と直感で同意した。 彼は権力を笠に着るといったような典型的なタイプであり、一癖も二癖もある人物であることは解っていたからだ。


結局、晴信は、岡本の話ぶりに不審な点がなかったことと、岡本という男が居ることで中央とのパイプが増えるのは良いことだと、悪くない方向で納得することに決めた。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


脱線ですが、ここでイメージを補強するためにも、キリシタン武将というものについて少し触れておきたい。


☆『千万の覇者』より、高山右近


☝・・・キリシタン武将としての生きざまは、ジュスト右近(高山重友)が最も鮮烈な輝きを放っている。


右近は、いろいろなことにおいて‟特別”なキリシタン武将だった。 まず、右近から発せられる言葉・・・とくにキリスト教の講釈は理路整然としていて一切の淀みがない。 容姿についての記録は見当たらないが、彼の南蛮趣味によるファッションは多方面に影響を与えたと言われているから、きっとイケメンの部類だったろう。


また、「清くあること」が信条の第一で、右近は絵にかいたような品行方正ぶりだった。 いわゆる、昨今世の中を騒がせている「セクハラ親父の対極」だ。 それでいて、石田三成のようなガッチガチの堅物と同類かといわれれば、そうとも思わせない不思議な魅力を右近は持ち合わせていた。 そして、その魅力で秀吉政権下の武将・・・それも、黒田官兵衛父子や蒲生氏郷といった知性ある大物を次々に改宗へと導いたのだ。


そんなカリスマ性のある右近でしたが、秀吉がキリスト教を敵視して弾圧に乗り出したため、それに抗議。 大名という身分を捨てて信仰を守った。 以来、右近は「マカオ騒擾」が起こるこの頃まで、親交のあった大名たちに温かく迎えられ、客人として静かに暮らしている。







☆『戦国ixa』より、黒田官兵衛と大友義統


☝・・・先ほど名前の挙がった黒田官兵衛も、キリシタンとしてなかなか印象的なエピソードを残している。


「関ケ原の合戦@九州」において、官兵衛は大友吉統(義統)に攻め込まれた。 大友吉統はキリシタン大名として有名な宗麟の跡継ぎで、元キリシタンである。 そして、このときには改易されていたことから、旧領奪還ということで遺臣を集め、関ケ原の動乱に乗じて黒田領を攻めたのだった。


もちろん、官兵衛と吉統の戦いは、「ixa的」にも彼らがレアリティ・天と序の関係であるように、まったくお相手にならない。 官兵衛は吉統をカウンターでコテンパンに撃破、彼を捕縛した。


そのとき官兵衛は、九州制覇に水をさされて邪魔をされたことよりも、吉統がキリスト教を棄教していたことにひどく腹を立てていた。 そして 「どーして棄教したんだ! デウス様はお怒りだぞ!」 と彼を叱りつけ、w、なおかつ父親のような保護者となってあれやこれと密な世話をし、ついには吉統のキリスト教回心をなしえている。







☆『戦国ixa』より、黒田長政と明石全登


☝・・・黒田官兵衛のキリシタン熱は彼の家中にもしっかりと伝わっていた。 それは嫡男の長政もほかならない。 長政は、「関ケ原の合戦」で敗れて落ち延びたキリシタン武将・明石全登(てるずみ)の保護を部下から打診され、同じキリシタンの誼から彼を匿った。


これはまごうことなき謀反人の隠匿であり、ともすれば家を滅ぼしかねない愚挙である。 家康びいきで知られ、政治力にも長けた長政だったが、このように政治よりも信仰を大切に思うといった一面もあったのだ。


「マカオ騒擾」の起こった年のころは、明石全登は状況の変化により黒田の領内を出て、さらに別の支援者を頼って落ち延びていた・・・。







☆『戦国無双』シリーズより、宇喜多秀家


☝・・・こういったエピソードは大名とか上級武士といった階層の話にとどまらず、一般兵クラスであっても当てはまっている。 たとえば戦場において、キリシタン武士どうしが敵味方でばったり出くわした場合は、戦うことをしないで互いに見逃すということがよくあったようだ。 もちろんこれは軍令違反で、見つかったら罪に問われる。 それ以外にも、キリシタン同士が助け合う例は多くあって、枚挙にいとまがない。


「キリスト教における兄弟愛」といった概念がキリシタンたちにそういった行動をさせていたのだろうか? ・・・ともかく、キリシタンの相互扶助は、この当時の日本社会の常識を大きくはみ出して超えていた。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☆『グーグルマップ』より


☝・・・有馬晴信、岡本大八らを乗せた船は瀬戸内から赤間ケ関(下関)を抜け、博多、平戸に寄港したのち、西海を一巡りするように長崎へと到着した。 これからは晴信の居城・日野江まで陸路で向かうのだが・・・。









☝・・・長崎で船を下りた有馬晴信らを出迎えたのは、「長崎奉行」の長谷川左兵衛藤広(さへえ・ふじひろ)だった。 なお、「長崎奉行」とは幕府の出先機関の役人(現地長官)であり、幕府の意向を受けて、主に外国との取り次ぎや交易に関することを仕事としていた。


・・・この人物は、もともと大した武功を上げて出世した武士ではない。 ただ、彼の妹の「お夏」は踊りがうまく、美人で有名であった。 それが主君・家康の目に留まって‟お手付き”となり、側室となった。


そういった経緯があって、左兵衛は縁戚関係をフルに活用し、江戸幕府の外港とも言える長崎の奉行に収まっていたのだ。 そして江戸から遠く離れた天領の地で、大御所の威光を笠に着て、このごろ近隣では並ぶ者がいないほどのローカルボスと成りおおせていた。 なお、左兵衛の生年は永禄10年であり、晴信とは同い年である。







左兵衛
「やあやあ! 互いに、やっかいなお役目を仰せつかってしまいましたな! かくなる上は示し合わせて、例の下手人を召し取ることにしましょうぞ!」


開口一番、左兵衛が軽口を叩く。 様子を察するに、どうやら左兵衛には左兵衛で命令が伝達されていたようだ。 ・・・改めて、ポルトガルへの報復がお膳立てされていて、その駒として動かされることに気持ち悪さを感じた晴信だったが、いまさらどうこうと言ったところで状況は変わらない。 ただただ、目の前の難局を泳ぎ切るだけだ・・・と、晴信は不愉快な左兵衛との打ち合わせを大ざっぱに済ませたのだった。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国ixa』より


☝・・・それから国元に帰った有馬晴信を出迎えたのは、妻のジュスタだった。(アレ、この時代の領主の妻って国元に居たのかな? @@; まあいいかw)


なお、ここに掲示したキャラ絵は高山右近の妻・ジュスタですが、同名ということでイメージを借用しました。 ちなみに「ジュスタ」とは、「マリア」と同じく、女性の洗礼名/教名としてごくありふれていた。 小西行長の妻もジュスタであったようだ。


(・・・晴信の妻は、たしか近隣の領主、大村純忠の娘・ドナ・ルシアでは? と、覚えている人は流石です。 しかし、慶長年間のこの頃に、晴信の妻として名前が挙がるのは、中山大納言の娘・ジュスタである。 果たして晴信の結婚関係がどうであったのか、ドナ・ルシアとはどうなったのかなど、そのことについて詳しい資料が見あたらない/残っていないので、一般人である自分は、そこは何とも、です・・・。 @@;)







それから、有馬晴信は妻のジュスタと一部の重臣を集め、「マカオ騒擾」の後始末から危険な任務を与えられたことを包み隠さず打ち明けた。


一同
「ポルトガルのカピタン(マカオ総督)を、兵を使って捕縛して江戸に差し出すーーー!?」 その乱暴な案に、居合わせた面々は戸惑いを隠さなかった。 イエズス会の本国である南蛮国と事を構えるということについて、特に、妻のジュスタの動揺は大きかった。


ジュスタ
「何もそんな乱暴なことをしなくても・・・。 司祭様に話を通せば、彼ら(カピタン)もきっと善処してくれます。 いたずらに事を荒立てるのはキライです」・・・このように、ジュスタの心境はポルトガル人に同情的だったといえる。


彼女のキリスト教への篤信ぶりは有名で、イエズス会の宣教師もその態度を称賛するほどのレベルであった。 他方、重臣たちもみなキリシタンであり、宣教師らの本国・ポルトガルと事を構えることにためらいを感じ、一様に沈痛な面持ちであった。


話は心情的なことから、次第に政治的なことへと移ってゆく。


ジュスタ
「カピタンを捕縛するとなると、その船の積み荷はどうなるのです? イエズス会の司祭様たちが迷惑をされるじゃありませんか。 交易で得た金銭に、イエズス会の活動資金が当てられているのは、この地のキリシタン、あるいは交易をする者ならば誰でも知っていることでしょうに・・・!」


・・・本来であれば、教会が商売や利殖をすることは禁止されている。 聖職者が俗化してしまうからだ。 しかし実際のところ、イエズス会の活動資金は交易の利益によってまかなわれていた。


というのは、教会には喜捨や布施といった収入も当然あったが、それらは経費全体からすれば微々たるものであった。 また南蛮本国から教会にまとまった援助金も支払われていたが、その到着が遅れたり、額が十分でなかったりと、要するに 「現地調達で何とかするしかねえ!」 ということに繋がって、教会は南蛮貿易に深く関与していたのだ。


晴信
「船の積み荷に関しては、私にはあずかり知らぬところだ。 長崎奉行の長谷川氏が処理をすることになっている・・・」


重臣
「待ってください、それでは、我らは使われるだけということですか? 「マカオ騒擾」で家中の者を大勢殺され、船と積み荷まで奪われておいて・・・!」


別の重臣
「いや、それを言ってくれるな、殿もお困りだろう。 大御所様のご下命とあらば、武士である以上、引き受けるしか手は無いものぞ」


一同
「・・・。」


・・・その場にはキリシタンの心情と武士の面目とが反目し合い、葛藤となって、ただただやるせない雰囲気が漂っていたのだった。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


さて、有馬晴信と妻のジュスタ、それと一部の重臣たちによる会議が行われた数日後のことーーー。







☆『戦国武将姫Muramasa』より、姫化したジョアン・ロドリゲス

「OH! 罪深き子羊よ! 日頃の行いを悔い、神に懺悔してくだサーイ!」


☝・・・(姫化したキャラ絵しか無くてスミマセンw 雰囲気壊すなぁ・・・@@;)


これは長崎にある教会の、告解室(懺悔ボックス)での一幕である。 そこではツヅ(通事)というあだ名を持った神父(宣教師)がいて、この日、ある人物から指名を受けて告解を行った。


告解をしたジョアン・ロドリゲス・通事という人物は日本イエズス会の財務担当をしている宣教師だ。 また、ツヅ(通事)というあだ名を持つくらいに日本のあらゆることに通じていた。


この日、ロドリゲス・ツヅに告解を行ったのはいったい何者だったのか。 そしてその時にどんな内容のことが話されたのか。 これについては誰も知らないーーー。







☆アニメ『名探偵コナン』より、黒い人w







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


やがて時は満ち、およそ一月後の慶長13年(1609)8月ーーー。 長崎の港に、一隻のポルトガル船が来航した。







☆『戦国ixa』より、南蛮人のイメージとして


☝・・・その船は、燃えるような夕焼けの黄昏時に現れた。 その名も「マードレ・デ・デウス号」。 「ナウ」と呼ばれるポルトガルの大型帆船である。 この船は「安宅(あたけ)」といった日本の大型船から比べても一回りも二回りも巨大で、船首と船尾に砲台を備えたその船は、まさに海上を移動する城塞のように目に映った・・・。


港に入る際、航海の無事を祝って放たれる祝砲も、マードレ号が行うとどこか底意を感じさせる。 その轟音は夕暮れ時の長崎の港に響き渡り、残響が禍々しくたなびいていた。


有馬晴信の見張り役
「とうとう来なすったばい! ・・・はよう主(あるじ)に知らせるばってん!」







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


かくして役者は揃い、「マカオ騒擾」に端を発した「マードレ・デ・デウス号事件」がはじまろうとしていた・・・!


・・・ですが、長くなってしまったので、今回はこの辺りでお開き。 次回をお楽しみにー。
(^ω^)ノシ!


(つづく)


※この文章はブログ主の見解です。




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2018年4月14日土曜日

戦国ixa(57-64鯖):第一回天下統一戦、開催される!

ixaコラム:経験0からのIXA!









関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2018/03/ixa57-64_19.html
シクレ特・有馬晴信さん、メッチャ便利で感激する!


(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・そういえば、少し前の4月上旬に「天下統一戦」が行われましたね。 今回はこの話を・・・。










☝・・・57-64鯖の第一回天下統一戦を制したのは、安東家! ・・・天下勢力順位的に、順当な結果となったようです。









☝・・・天下統一戦は『ixa』の一大イベントということで、やはり今回も大混雑、サーバーの通信速度は激重でしたね。 @@;


それは特に開戦直後がひどく、画面切り替えに30秒以上もかかってしまっていて、ちょっとまともにはプレイできませんでしたね。 わたしの所属する同盟でも、悲鳴が続々と・・・!


まあ、過疎っているより過密の方が断然いいのだろうけれども、ゲームとして余計なストレスを感じることなく遊ぶことができたら、と思います。







混乱したのは、なにも回線速度の重さだけではありません。




☝・・・「天下統一戦」の大きな特徴である、「同盟の枠を超えた合流攻撃」について仕様変更があり、そのことを知らない人が多くいたため、合流に乗れないといったトラブルが多く発生してしまったのです。


「通常の合戦」であれば、「合流ランプ」が点灯したところをクリックして操作、合流する・・・ということが基本なのですが、ここ「天下統一戦」では起点を担当するのが自分と同じ同盟のプレイヤーとは限りません。 他同盟のプレイヤーが起点を担当した場合、合流ランプは点灯しないのです。 @@;


それでは、どうやって合流に乗るのかといえば、




☝・・・「部隊」→「合流」タブを選択します。 すると候補が現れますので、あとは目標を間違えないで選択していけば合流完了、となります。


うーん。 これはちょっとした手順の変更であり、それほど問題ではないと思いますが、とはいえ、毎期毎期ルールや仕様が変わることに戸惑いを感じるプレイヤーが多いのもまた事実ですから、運営さんにおきましてはしっかりとしたアナウンスをしてもらいたいですねぇ・・・。
(-_-)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


そうそう!



☝・・・そうそう! 「天下統一戦」といった、大兵力の合流が繰り返す合戦でひときわ輝くのが、「普請」とか「商器一才」といった、銅銭スキルカードの活躍ですよね。




☝・・・しっかりとカウントしたわけではありませんが、終わってみれば20万銅銭弱ほど増えていたでしょうか? わたし的に、今期はつおーい人たちと同盟をご一緒するという機会に恵まれたこともあって、かつてないほどのペースで銅銭が増えていきます。


ウマウマ、なのです! (^p^)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




☝・・・そんなこんなで、「天下統一戦」が終わってみると、貯まった「天下統一の片鱗」は1073枚。 統合された鯖の分も含めて、ようやく1000枚に届きました。

















☝・・・「天下統一カード」、ゲットだぜー! (^ω^)


このカードは、所持しているだけでデッキコスト上限が+1されるなど、なかなか有効なカードのようですね。










☝・・・スキル追加カードとしての「天下統一」カードは、


1.鬼刺
2.鬼神刺
3.破軍星


☝・・・と、今一つといった印象。









☝・・・気になるS1候補は、「天征相克」。




☝・・・兵種が「槍弓馬」と限定されるものの、「天征相克」の発動50%、アップ効果70%というのは、一般人の自分にとっては魅力的です。


ということで、このカードをスキル追加カードとして使うには「鬼刺」を移植してからのS1狙いがいいかもしれませんね!
(^ω^)







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


と!いうことで今回はこのあたりでお開き。 個人的に、混乱と共にスタートした「戦国異伝」のワールドですが、折り返しとも言える時期にまで来てしまったのですね。


引き続き、まったりと『戦国ixa』を遊んでいくのだっ!
(`・ω・´)


(つづく)




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2018年4月2日月曜日

戦国ixa(57-64鯖):キャラ絵小話! 有馬晴信さん編(2)

ixaコラム:経験0からのIXA!









関連する前回
http://exp0stargalaxy.blogspot.jp/2018/03/ixa57-64_19.html
シクレ特・有馬晴信さん、メッチャ便利で感激する!~キャラ絵小話・有馬晴信さん編(1)~


(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『信長の野望』シリーズより、晩年の徳川家康


「機を見てポルトガルに報復せよ!」


☝・・・大御所・徳川家康は「マカオ騒擾」の事件を受け、有馬晴信にポルトガルへの報復を厳命した。


大御所・家康の声は威厳があり、平伏する晴信の全身に重圧となってのしかかる。 晴信はとっさに承諾の返事はしたものの、大汗をかき、平伏したそのまま固まってしまっていた。


それもそのはず、いち地方の領主という身分である以上、大御所の下命に異議を挟むことなどまず考えられない。 ・・・しかし晴信は考える。 簡単に報復せよなどと言ってくれるが、いったいどうやってポルトガルに報復せよというのか?


そう思っているところに、「では、下がれ」と促され、ハッと我に返って会見の間から退室する晴信。 その様子は心ここにあらずといった様子だ。 そんな晴信に家康は重ねて何も語らず、ただただ不動の威圧オーラを放っていたのである。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)




と、ここで、


話は前後してしまいますが、有馬晴信という武将を語るうえで、生い立ちなどといった彼の取り巻いた環境を、皆さんといっしょに振り返ってみたい。







☆『グーグルマップ』より


☝・・・有馬晴信が生まれた有馬家は、肥前の国・島原半島の日野江がその本拠地だ。
(追記)以前、口之津が有馬氏の本拠とお伝えしてしまいましたが、これは誤りでした。経済的な中心地が口之津で、城といった本拠地は日野江ということのようです。m(__)m


有馬家はコーエー社の人気ゲーム・『信長の野望』シリーズで長崎県を代表する勢力として登場することもあるので、わたしを含めて知っている人は多いかと思う。


なお、『のぶやぼ』ゲーム中に登場する有馬家の本拠は日野江ではなく、大村氏の領する「大村城」がその中心地として設定されているなど、事実とは異なっていて、ちょっとした誤解を招いている。 わたしも詳しくは知りませんでしたYo!
(´・ω・`)


それはさておき、戦国時代のメルクマール・織田信長の生きた時代では、現・長崎県の地域は平戸の松浦家、大村の大村家、そして日野江の有馬家の三家が有力な大名としてそれぞれの地を割拠していた。







☆『信長の野望』シリーズより


☝・・・そんな群雄割拠の肥前国で頭一つ分をもたげたのが、日野江を本拠にしていた有馬家だった。 そして、上の画像は有馬晴信の祖父にあたる有馬晴純です。


仙厳(せんがん)という号でも知られる有馬晴純は、軍事、政略共に積極的に攻勢をかけて、この地域における有馬家の名声を大いに高めていた。 しかし、そんな有馬家の隆盛も、晴純が隠居して第一線から退いた永禄年間(1558~)ごろからは徐々にその勢いを失っていく。







☆『戦国ixa』より、龍造寺隆信

「分別(ふんべつ)も久しゅうすればねまる。」


☝・・・そう、その頃の肥前の国は、即断即決、電光石火をモットーにした「肥前の熊」こと龍造寺隆信が、「これからは俺がこの地域をシメるぜえ!」と言わんばかりに活発な活動を開始していたのだ。


今回の主人公・有馬晴信は、祖父の晴純が亡くなるのと入れ替わるように永禄10年(1567)に生まれている。 やがて晴信は、父の病弱、兄の早世、他勢力の圧迫など、諸般の事情によってわずか5歳で家督を継ぐこととなった。


こうして、幼くとも当主となった晴信は、人生の大切な時期である幼少期~青年期を、龍造寺隆信という油断のできない強敵と向かい合うことを強いられることとなる・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


晴信の生い立ちについてはここでいったん置いておいて、ここからは有馬晴信という武将の大切な要素である、キリシタンのことについて触れていきたい。


☆『千万の覇者』より、大友宗麟


☝・・・キリシタン大名といえば、大友宗麟がその代表といった感じだろうか?


本来はキリスト教にそれほど関心の無かった九州の大名たちですが、キリシタンの宣教師とセットで現れる南蛮商人が持ち込む交易品、そこからもたらされる利益に目がくらんでキリスト教を保護していた。 そういった背景のもと、北九州の各地では南蛮港が開かれ、教会をはじめとしたキリシタンの拠点が作られることになる。







☆『戦国サーガ』より、姫化したコスメ・デ・トーレス


☝・・・九州の大名たちをキリシタンへといざなったのは、何も交易品のもたらす金銭的利益ばかりではない。


九州ではコスメ・デ・トーレスを長とした、人間的魅力のあふれる宣教師たちが、文字通り、”骨を埋める覚悟で”熱心に宣教活動を行っていたのだ。


ちなみにトーレスという人物は、ザビエルと共に日本を訪れた宣教師であり、ザビエルが日本を去ったあとその役職を引き継ぎ、イエズス会の日本布教長を務めた重鎮といえる人物だ。 なお、この人物の性格は温和で、愛情にあふれる極めて人格者であったと伝わっている。


そういった人格者の宣教師たちと直に接することで、かたくなな仏教徒/神道信者であった九州の大名たちもキリスト教に関心を持ち、次第に心を許していくこととなる・・・。







そして有馬家とキリシタンの関係はというと、


☆『信長の野望』シリーズより、有馬義貞


☝・・・こちらが有馬晴信の父・義貞。 能力値をご覧になっていただければわかるように、この人物は戦国大名としてはおおよそ不向きな、軍事行動はさっぱりダメといった、和歌や書といった芸道をもっぱら好んだ温和な文化人だった。


そんな温和な領主・有馬義貞も、先ほどの宣教師・トーレスの感化を受けてキリシタンになった武将の一人であった。(洗礼については、別の宣教師が行ったと述べられている。) つまり、有馬家のキリシタン化はこの人物の代からということになる。







☆『千万の覇者』より、有馬晴信


☝・・・このように、有馬晴信が物心ついた前後のころから、彼がキリシタンになる環境は整えられていたという訳だ。 父も母も、そして叔父といった親戚もキリシタンが多かったのだから、自分がやがてキリシタンになるということに違和感を感じるといったことも無かったハズだ。 晴信はやがて10代へと成長したのち、正式に受洗をしてキリシタンとなっている。







☆『戦国ixa』より、大村純忠


☝・・・有馬晴信のキリシタン入信に伴って、彼の結婚式もほぼ同時に行われた。 晴信のお嫁さんとして選ばれたのは、近隣の領主・大村純忠の娘、ドナ・ルシアだと伝わっている。 大村純忠は日本最初のキリシタン大名として知られ、晴信とは伯父・甥の関係だった。


有馬晴信と大村純忠が伯父・甥の関係にあるので、ドナ・ルシアと晴信はいとこ同士ということになる。 現代の日本では避ける傾向にあるいとこ婚ですが、当時の武家は「重縁を結ぶ」という価値観があったために、何の差しさわりも無かった。 むしろ、キリシタン同士の結婚ということでスムーズに事は進んだのだ。







☆『戦国ixa』より、有馬晴信と伊東マンショ


☝・・・こうして受洗・結婚以来の晴信は、自らの名代として「天正遣欧少年使節」を大友宗麟、大村純忠と共同してローマに派遣するなど、その熱心なキリシタン大名ぶりが知られている。 しかしその一方で、一説には、時期によっては領内のキリシタンを弾圧したこともあったとも言われていて、いっとき棄教していたのかどうか、そのあたりは判然としない。 とはいえ、晴信がおおむねキリシタンとして生涯を過ごしたことは間違いないだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


有馬晴信とキリスト教に関する話題はこれくらいにしておいて、話は彼の半生に戻ります。


☆『のぶニャがの野望』より、ありミャー晴信


☝・・・有馬家は晴信が家督を継いだしばらくのち、龍造寺隆信に圧迫されて不本意な臣従を余儀なくされていた。 そんな有馬家に一大転機が訪れる。


ときは天正12年(1584)。 このころ破竹の勢いで南九州を制圧した薩摩の島津四兄弟は、さらに勢力を伸ばすべく肥後北部へとその触手を伸ばした。 その行動は龍造寺隆信を大いに刺激したのである。


すぐさま軍事的緊張が島津・龍造寺間で張り詰める。 そのとき、島津勢は兵数的に圧倒的に不利であった。 そこで状況を打開するために、島津勢は龍造寺家中の不満分子を味方につけるべく水面下で動いた。 いわゆる調略というやつだ。 その相手とは、島原半島の若き領主・有馬晴信であり、そうしたきっかけで「沖田畷の合戦」が勃発することになるのだが・・・。







☆『千万の覇者』より、島津家久と島津豊久


☝・・・今回は「マカオ騒擾」がテーマなので、「沖田畷の戦い」について詳しく述べることはなるべく避けたい。 ただ、島津家久父子が率いる島津軍ばかりが活躍したような印象であるこの戦いは、地味であるものの、有馬晴信も確かに出陣していて、島津と共に死力を尽くして決戦は行われた。







☆オンラインゲーム『War Thunder』より


☝・・・特筆すべきなのは、この戦いに有馬氏の船2艘が参加し、有明海から敵に向かって砲撃を加えた、ということがフロイスの著書から知られている。 つまりは艦砲による援護射撃だ。 どうやらこの船はイエズス会がらみの外国船だと推定されるものの、この時点で大砲を動員できる大名はそうそうなく、このことで有馬氏は名声を轟かせることとなった。


・・・ここでひとつ気づいたことがあります。 それは、有馬氏が外国船を動員していたとなると、要請だとかいった事前の打ち合わせや準備を念入りにしていた結果である、ということだ。 いきなり「ここに行ってこう戦ってくれ」と言われて引き受ける重武装の外国船が、都合良くあるとはふつう考えにくい。


このように、この戦いにはイエズス会の影がチラホラ見え隠れしている。







☆『グーグルマップ』より、沖田畷古戦場跡


☆『千万の覇者』より、龍造寺隆信


☝・・・さらに想像力をたくましくすれば、この戦いで龍造寺隆信が討ち取られたのも、有馬氏の要請を受けた戦艦が突如としてあらわれ、龍造寺軍の布陣・後方の退路を断つように猛烈な艦砲射撃を始めた。 そのために龍造寺軍は動揺し、混乱のさなか無謀な突進行動となって、畷道の周囲にあるぬかるみに嵌って進退窮まり、最終的には島津の鉄砲隊の餌食となって総大将が討ち取られてしまったーーーという結果も筋が通って聞こえてくる。


このように、有馬氏視点からこの戦いを見ると、通説とは違った「沖田畷の戦い」が見えてくる。 そしてそれはとても興味深いところだ。


この戦いで破格の勝利を手にして以降、有馬家は島津家に従うことになる。 龍造寺家を撃破した島津四兄弟は勢い、今度は大友家に攻めかかるのだが・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『千万の覇者』より、豊臣秀吉と黒田官兵衛


☝・・・ときに天正14年(1586)7月。 島津氏の大友攻めは、中央政権である羽柴氏(豊臣氏)の介入を招く結果となった。


このとき、「沖田畷の戦い」で共に修羅場をくぐり抜け、熱い友情を育んだかのように思えた有馬=島津の同盟関係だったが、有馬晴信は割とあっさり島津から離反して、羽柴方に寝返っている。 @@;


秀吉の九州戦役については、「戸次川の戦い」で島津勢は意地を見せたものの、それ以外の戦いでは精彩さを欠き、やがて戦意を喪失した島津軍は全面降伏。 この戦いは1年とたたずに終戦となった。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国ixa』より、「武装商船」の小西行長


☝・・・有馬晴信は豊臣政権下でも活躍した。 晴信は依然と島原半島を領有しながら、こんどは肥後半国(南半分)の領主・小西行長の組下となったのだ。 なお、小西行長も晴信と同じくキリシタン武将として有名だ。


小西行長は豊臣政権下では「舟奉行」を務めている。 そんな小西家の組下に入れられた有馬家は、やはり船関係での活躍が期待されていたに違いない。 やがて晴信は、小西行長の与力として「文禄・慶長の役」(1592-1598)に参戦、おもに朝鮮の地で過ごした。


「文禄・慶長の役」については皆さんご存じ、日本は結果的に朝鮮半島から総撤退・・・つまりは敗北することとなる。 この戦役のネックは海戦で、船による補給線が断たれたことが大きな敗北要因だった。 シビアに言えば、舟奉行の関係者である有馬晴信は、この戦いにおいて期待通りの活躍ができず、勝利に貢献できなかったとも言える・・・。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『千万の覇者』より、徳川家康と石田三成


☝・・・時は流れて慶長5年(1600)9月。 こんどは「関ケ原の合戦」だ。


日本の大名が東西いずれかの陣営に分かれて戦ったこの戦役で、有馬晴信は国元・島原半島にいて西軍の旗を掲げた。 ところが、東軍が勝ったとなるとすぐさま勝ち馬に乗り換え、上司であった小西行長の国元・肥後国を攻めている。 (`・ω・´;)


なお、小西氏は西軍の主力の一つとして関ケ原に出張しており、晴信はやすやすと肥後で戦功を立てることができた。


このように晴信は肥後で戦功を立てたため、当初西軍に味方したことを罪に問われず、めでたく戦国期~豊臣政権~徳川政権へと、乱世の荒波をくぐって泳ぎきり、生き残ることができたのだ。







前置きとしてはとてつもなく長くなってしまいましたが、w、結論を言うと、有馬晴信という武将はキリシタン大名としてイエズス会と何やら太い繋がりを持ち、そのうえで「沖田畷の戦い」のような場合は腹をくくって戦い、「秀吉の九州平定」や「関ケ原の戦い」においてはより強い上級権力に逆らわずに寝返るといった政治的狡猾さ/賢明さを持ちあわせた武将であると言えるだろう。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


お話はここでようやく「マカオ騒擾」へと戻るーーー。








「報復つーゆうても、いったいどげんすればよかとーと!
 まさか、マカオまで殴り込みばかけろと!? せからしかー!」
( ゚Д゚)


☝・・・駿府城にて、大御所・徳川家康と面会したばかりの有馬晴信である。 w


このように、大きな声で叫び出したい晴信であったが、もちろん駿府城内でそのような振る舞いができるハズがない。


そんな晴信は小姓に呼び止められ、近くの別室へと案内された。 そして、その部屋で待ち受けていたのは・・・。







☆『千万の覇者』より、本多正純


☝・・・通された部屋に待ち受けていたのは、家康の側近である本多正純だった。 なお本多正純とは、家康に「友」とまで言わしめた謀臣・本多佐渡守正信の嫡男だ。







☆『戦国ixa』より、南光防天海と以心崇伝


☝・・・余談ですが、このころ将軍職を辞して駿府で大御所政治を行っていた家康には「3本の懐刀」があった。 「黒衣の宰相」と呼ばれた僧の天海と崇伝、そして本多正純の3人だ。


正純は「3本の懐刀」のなかでは若年であったが、父・本多正信ゆずりの頭脳のキレとその忠勤ぶりで、正純はこのころ家康の「側近中の側近」として広く内外でその名を知られていた。







(・ω・)(・ω・)(・ω・)


☆『戦国ixa』より、有馬晴信と本多正純


☝・・・(この人物が本多正純殿か・・・。)


部屋で向かい合う、初対面の有馬晴信と本多正純。 目の前に座ったこの人物からは武の臭いがまるでしない。 そのかわり、墨と硯から成る、文具の臭いを晴信はそこはかと感じていた。


ちなみに正純は永禄8年(1565)の生まれで、晴信とは2歳差のほぼ同年代だ。 彼らの間に主従関係はないものの、とはいえ、片や政権の中枢に位置する者であり、もう片方は一地方の領主と、彼らの間には厳然とした分限/身分の差が広がっている。


予想に反して、本多正純は身分を笠に着ることなく丁寧に話しはじめた。


正純
「有馬殿。 このたび大御所様のご下命ですが、実際どうしたらいいのか分からないでしょう」 ・・・先ほど家康の前でかいた大汗をぬぐいながら、問いに肯く晴信。

正純
「実は、我々はいくつかの筋から、今回の当事者、マカオ総監・アンドレ=ペッソアが近いうち長崎に来航する、その情報を掴んでいるのですが・・・」

「!?」 いぶかしがる晴信。 なぜ本多殿はそれを知っているのか。

正純
「彼らの来航の主な目的は、生糸の交易。 要は商売のためにやって来るのです」

「はぁ・・・」 なおも状況がつかめない晴信。

正純
「・・・そこで我々は、何だかんだと用件を作って彼らの注意をひきつけ、動きを封じます。 その間に有馬殿は兵を使い、機を見てペッソアめを捕縛するのです」

「なんと!」

正純
「よいですかな、有馬殿。 これはあくまでも有馬殿による敵討ち。 徳川政権が関与したと相手方に知られては、いろいろ面倒なことになるのです」


・・・正純は終始丁寧な話し方をしていたが、この部分だけが”念が入った”口調となり、ここが会話の核心であることを晴信に伝えていた。


「・・・!」


なんということか。 驚いたことに、すでにポルトガルへの報復の筋書きが用意されていたのだ。 どうやらこの一件には、自分の見えぬところで何か大きな流れが渦巻いている。 いつのまにか我が身は、目隠しをされたまま流れの速い海に放り込まれてしまったかのようだ。


ーーーかくなる上はままよ、行く着く末がどこになるのかは分からないけれども、向こう岸まで泳ぎ切ってやろうじゃないの! 火の国を二つに隔てる有明の海を。


・・・いさぎよく、腹を据えた有馬晴信なのであった。







☆『戦国姫譚Muramasa』より、姫化した有馬晴信


☝・・・と、いうことで、ストーリー的に前回からはほどんど進んでいませんが、orz、今回はこの辺りで次回につづくー!
(・ω・)ノシ


※この文章はブログ主の見解です。




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